こんなふうに、自分のホームページを持って、文章を書き、それを誰かに読んでもらう。
少し前なら、私のような素人がこんな場所を持つことは、不可能なことだったのだと思います。
今は、パソコン一台あれば、自分でホームページを作ることができます。
書いた文章は、公開ボタンを押せば、あっという間に世界のどこからでも読めるようになる。
すごい時代になったなあ、と思います。
情報だけではなく、人の思いや経験まで、驚くほどの速さで伝わっていきます。

そんな時代に、自分の場所をひとつ持って、私は何を伝えたいのだろう。
あらためて考えてみると、それは案外単純なことでした。
私が、知りたかったことを伝えたい。
身体は、何を心地よいと感じるのだろう。
安心って、何だろう。
幸せって、何だろう。
満ち足りるって、どんな感じなんだろう。
自分を愛するって、どういうことなんだろう。
そんなことを、私はずっと知りたかったのかもしれません。
そして、暮らしながら、自分の身体や心と付き合いながら、少しずつ知ったことがあります。
そのひとつが、
自分の中に生まれたものを、拒絶しなくてもいいということ。
嬉しい気持ちも、悲しい気持ちも。
好きも、嫌いも。
変わりたい気持ちも、そのままでいたい気持ちも。
ときには、相反する気持ちが一緒にあることもあります。
どちらかを追い出さなくても、その自分と一緒に暮らしていくことができる。
私は長い間、「自分を愛する」ということが、よく分かりませんでした。
でも今は、
自分の中にあるものを拒絶せず、その自分と一緒にいること。
それも、自分を愛するということなのかもしれない。
そんなふうに思うようになりました。
だから、この場所には、答えではなく、私が経験したことを置いていきたいと思っています。
「こう考えるのが正しい」と言いたいわけではありません。
「こうすれば幸せになれます」と案内したいわけでもありません。
ただ、
私はこんなことがあったよ。
と、置いておく。
この場所には、犬との暮らしもあります。
鍼やマッサージ、身体についての話もあります。
着物を着て暮らしてみて感じたことや、日々の小さな発見もあります。
これからまた、思いもよらないものが増えていくのかもしれません。
一見すると、ずいぶんいろいろなものが置かれている場所です。
でも、私の中では、どこかでつながっています。
自分が暮らして、身体で経験して、知ったことを、ここに置いておく。
それが、この場所で私がしたいことなのだと思います。
この場所を作り直したとき、ひとつの願いがありました。
読んでくれた人が、自分自身と仲良くなって、生きることが楽しくなったらいいな。
今も、その願いは変わっていません。
ただ、私にできるのは、ここに私の経験を置いておくところまで。
それを読んだ人の中で何が起こるのかは、その人のものです。
この場所には、「手から癒やしを」という名前をつけています。
私は長い間、人の身体に触れる仕事をしてきました。
でも今は、この「手」という言葉を、もう少し広く感じています。
人に触れる手。
自分に触れる手。
何かを作る手。
欲しいものへ伸ばす手。
誰かに差し出す手。
そして、自分から離さない手。
癒やしは、誰かに与えたり、努力して達成したりするものではなく、
人と人、自分と身体、自分と世界との間に、ふっと湧き起こるものなのかもしれません。
この場所も、そんな「手」のひとつになったらいい。
誰かを引っ張っていくための手ではなく、
「私はこんなことがあったよ」
と、世界のどこかへ、そっと差し出しておく手。
必要なときに、誰かが触れてくれたら。
それで十分なのだと思っています。