人生には「まさかの坂」がある、なんて言います。
まさか自分の人生に、こんな坂があるとは思っていませんでした。
この半年、これまでの人生では経験したことのないような出来事がありました。
悲しかったり、寂しかったり、腹が立ったり。
そして何より、
「この先、私はどうなってしまうんだろう」
そんな恐怖に、押しつぶされそうになることがありました。
以前の私だったら、こういうとき、きっと何かを決めようとしたと思います。
このままではいけない。
何かしなくちゃ。
答えを出さなくちゃ。
一歩踏み出さなくちゃ。
苦しい気持ちを抱えたままでいることができなくて、何かを決めることで、そこから抜け出そうとしていたように思います。
でも最近、少し違うことが起きています。
怖いものは、今も怖い。
寂しいものは、今も寂しい。
なのに、
「ああ、私、怖いんだな」
と思いながら、その自分を見ている私がいます。
少し前には、寂しくなった帰り道、電車の中で、
「寂しいねー。寂しいねー」
と、自分に話しかけていました。
何も解決していません。
寂しさが消えたわけでもありません。
ただ、寂しがっている自分の隣から、離れないでいました。
どうやら私は、悲しんでいる自分や、寂しがっている自分を、以前ほど追い払わなくなったようです。
そして今度は、怖がっている自分の隣にもいられるようになってきました。
怖い。
でも、怖いからといって、今すぐ何かを決めなくてもいい。
恐怖がある。
でも、恐怖=命令ではない。
これは、私にとってかなり新しい感覚です。
答えが出ていなければ、人生は先へ進めない。
ずっと、どこかでそう思っていたのかもしれません。
ところが、そうでもないらしい。
大きなことは、まだ何も決まっていない。
それでも朝は来ます。
犬と散歩をする。
お腹が空けば、食べたいものを作る。
お茶を飲む。
体調が悪ければ横になる。
面白いものを見つければ夢中になる。
ブログを書きたくなれば書く。
美容院の予約も入れる。
そんなふうに一日一日を暮らしていたら、結論なんて出ていないのに、私の人生はちゃんと動いていました。
最近は、そのことが少し面白くなってきました。
まるで自分の人生なのに、ドラマを見ているような気持ちになることがあります。
「へえ、こんなことが起きるんだ」
「私は、こんなふうに感じるんだ」
「さて、この人はここからどうするんでしょう」
もちろん、当事者なので痛いものは痛いし、怖いものは怖い。
でも、少しだけカメラが引いたようなところから、自分を眺めている私もいます。
人生には、本当に「まさかの坂」があるらしい。
以前の私なら、その坂から一刻も早く降りようとして、何かを決めていたのかもしれません。
今は少し違います。
怖がっている自分の隣にいて、
「いやあ、すごい坂があったもんだね」
なんて言いながら、少し景色を見ています。
どこへ続いている坂なのかは、まだ分かりません。
分からないままでも、今日を暮らすことはできる。
そして、もしかしたら。
決めていなくても、人生は進んでいる。
今はそんなことを思っています。
