お風呂に入りながら、頭にきていました。
過ぎたことを思い出しては、
「ほんと、頭にくるねー」
と、自分に話しかけていました。
このところ私は、こんなふうに自分に話しかけることがあります。
寂しいときには、
「寂しいねー」
嬉しいときには、
「嬉しいねー」
そして、この日は、
「頭にくるねー」
何とかしようとするわけでもなく、
ただ、頭にきている自分の隣にいました。
すると、ふと、
「でも、なんでこんなに頭にくるんだろうね?」
と思いました。
そして出てきたのが、
「期待が大きかったからだ」
という言葉でした。
私は、努力することと期待することを、
ずっとセットにしてきたのかもしれません。
「こうなったらいいな」
と思う。
すると、そのために自分にできることを探します。
調べる。
準備する。
環境を整える。
手伝う。
もう少しよくできそうなら、また手を加える。
そうしているうちに、
最初はただ、
「こうなったらいいな」
だったものが、
少しずつ、
「ここまでやったのだから、きっとこうなる」
に変わっていく。
努力と一緒に、期待も育っていくのです。
もちろん、努力することが悪いとは思いません。
私は努力することで、
できなかったことができるようになる経験を、
たくさんしてきました。
でも今になって、
そこには一つ、苦しくなる仕組みもあったのかもしれないと思います。
未来を不確かなものにしたくなくて、
できることをする。
できることをすればするほど、
「自分の努力で未来を作れる」
という感覚も強くなる。
すると、未来に対する自分の責任まで大きくなっていきます。
うまくいかなかったとき、
「そういうこともある」
では終われない。
もっとやっていれば。
あのとき、やめなければ。
私が何かを見落としたのではないか。
そして、もう同じ痛みを味わいたくないから、
次はもっとやる。
できることは、全部やっておこうと思う。
未来を安心できるものにしようと努力するほど、
かえって苦しくなっていく。
そんなこともあるのかもしれません。
そして今日、
もう一つ思ったことがあります。
私はこれまで、
「どんなふうに生きたい?」
と、自分に聞いたことが、
どれくらいあったのだろう。
生きられるように生きるしかないでしょう。
そんなふうに思っていた気がします。
どこならできる?
何ならできる?
何なら許される?
自分が動ける場所を探して、
そこでできることを見つけて、
私はいくつものことを形にしてきました。
何かを始めれば、
考えることも、
調べることも、
工夫することも、
一生懸命やってきました。
でも、その一番最初に、
「私はどうしたい?」
という問いは、
あまりなかったような気がします。
願いがなかったわけではありません。
こうなったらいいな。
こんなものが欲しいな。
こんな未来だったらいいな。
そんな願いは、私にもありました。
美しく生きられますように。
両親より長く生きられますように。
大切な人と、一緒にいられますように。
人に優しくいられますように。
そんなことを、なんとなく願っていたこともあります。
でも今振り返ると、
それさえも、
少し外側から自分を見ていたような気がします。
「こんな人生だったらいい」
「こんな人でいられたらいい」
という、
どこか完成した姿を見ていた。
その一方で、
もっと小さなところで、
私の心はずっと、
いろいろなものを差し出してくれていたのかもしれません。
これ、好き。
これ、嬉しい。
これは寂しい。
これは嫌だ。
私は、こうしたい。
でも私は、
それを受け取ることを、
あまりしてこなかったのかもしれません。
心が喜んでいるときにも、
私はその喜びの隣にいなかった。
今思うと、
そこには少し、
悲しい拒絶があったような気がします。
最近、
寂しいときに、
「寂しいねー」
と、自分に言ってみました。
何とかしようとせず、
寂しさをなくそうともせず、
ただ、その自分の隣にいました。
そして昨日は、
自分を拒絶せずに、
そのまま隣にいるような時間の中で、
ふと、自分を愛おしいと思いました。
「自分を愛せるようになりたい」
と願って、
そこを目指して頑張ったわけではありません。
ただ、
自分が差し出してきたものを、
今度は受け取ってみた。
そうしたら、
そこにあったものに気づいた。
私はこれまで、
未来に願いを置いて、
そこへ向かって努力することは、
ずいぶんしてきました。
誰かに対しても、
「こうなったらいいな」
と思うと、
その願いを叶えるために、
自分にできることを探しました。
でも、願いは、
全部、自分の仕事にしなくてもいいのかもしれません。
誰かの力を素晴らしいと思ったら、
その力が十分に生かされますように。
大切な人の幸せを願ったら、
幸せでありますように。
願う。
そして、その先は、
その人の人生に返す。
「こうありますように」
が、
「そうなるように、私がする」
にならなくてもいい。
それが今の私にとっての、
「祈る」ということなのかもしれません。
では、自分には、
何を願うのだろう。
「こんなふうに生きられますように」
と、また未来の自分を描くことなのだろうか。
今は、少し違う気がしています。
どんな自分になるかより、
今、私の心が差し出しているものを、
受け取ってみたい。
嬉しいなら、
「嬉しいね」
寂しいなら、
「寂しいね」
腹が立つなら、
「頭にくるね」
やりたいなら、
「やりたいんだね」
そのくらいのことからでいい。
未来の自分を作るために、
今の自分を置き去りにしない。
誰かの未来には、祈りを。
自分とは、手を離さずに。
私は今、
そんな生き方を始めたところなのかもしれません。