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自分に心を開いて生きてみる

最近、「自分に心を開いて生きてみたい」と思うようになりました。

人に心を開く、という言葉はよく聞きます。

でも、自分に心を開くって、どういうことなんだろう。

そんなことを考えているうちに、昔、ある患者さんから言われた言葉を思い出しました。

「人生に少し余裕ができたら、自分とのコミュニケーションですよ」

その頃の私は、その言葉の意味がさっぱり分かりませんでした。

自分とのコミュニケーション?

自分は自分なのに、何をコミュニケーションするんだろう。

けれど、なぜかその言葉は、ずっと心に残っていました。

そして今になって、もしかしたら私はようやく、その意味を少しずつ知り始めているのかもしれないと思います。

自分とのコミュニケーションというのは、自分について正しい答えを見つけることではないのかもしれません。

「私はこういう人」
「私はこれが好き」
「私はこう生きたい」

一度出した答えを、大切に持ち続けることでもない。

もっと小さく、

「で、今は?」

と、自分に聞いてみること。

昨日好きだったものを、今日も好きとは限らない。

以前なら喜んだことに、今日は心が動かないかもしれない。

反対に、今まで何とも思わなかったものに、急に心を動かされることもある。

最近、そんなことが増えてきました。

先日、思いがけず、人とハグをすることがありました。

ほんの短い時間でした。

けれど、その温かさが、自分でも驚くほど身体に残りました。

私は仕事柄、人の身体に触れることには慣れています。

触れることで、相手の身体からいろいろなことを感じ取ってきました。

けれど、触れられることで、自分も相手を感じていること。

そして、自分からも何かが相手に届いていること。

そんな当たり前のことを、私はあまり考えたことがなかったように思います。

そのハグをきっかけに、いろいろなものが少し違って見えるようになりました。

人と人との間に温かいものが行き来すること。

誰かの喜びを受け取ること。

自分の喜びを誰かに差し出してみること。

言葉だけではないところでも、人はずいぶんいろいろなものを受け取っているのかもしれません。

今日も、小さなことがありました。

白い足袋を、自分の好きな色に染めてみました。

染め上がった足袋を見ていたら、

「あ、いいな」

と思いました。

記念に写真を撮ったら、今度は、

「これ、Instagramに載せたいな」

と思いました。

載せてみたら、足袋を作っているお店の方が受け取ってくださって紹介してくださいました。

嬉しかった。

たったそれだけのことです。

でも、

「染めてみたい」
「写真を撮りたい」
「載せてみたい」
「わあ、嬉しい」

その一つ一つを、自分がちゃんと受け取っていたことに気づきました。

実はその日の午前中、私は別のことで腹を立てていました。

以前の私なら、

「私はこんなことがあったんだから、今日は傷ついている日」

と、その気持ちの中で一日を過ごしていたかもしれません。

でも、腹が立っていたことも本当。

そのあと足袋を見て嬉しくなったことも本当。

どちらかが嘘になるわけではありません。

今は腹が立っている。

次の今には、嬉しくなっている。

また次には、寂しくなるかもしれない。

今というのは、どんどん次の今に更新されていくものなのかもしれません。

だったら、嬉しいときには、思いっきり嬉しがっておこう。

すぐに次の今がやってくるのだから。

そんなふうに思ったら、少し可笑しくなりました。

以前の私は、「今に集中する」ということを、もっと強いことだと思っていました。

何があっても気持ちを切り替える。

感情に左右されず、やるべきことをやり遂げる。

そんな強さです。

でも今は、少し違って見えます。

今に集中するというのは、感情を切り替えることではなく、

今、自分に起きていることを取りこぼさないこと

なのかもしれません。

悲しいなら、悲しい。

腹が立つなら、腹が立つ。

嬉しいなら、嬉しい。

美味しいなら、美味しい。

そして次の今が来たら、また、

「で、今は?」

と聞いてみる。

それが、自分とのコミュニケーションなのかもしれません。

そして不思議なのは、自分に心を開いてみたら、自分のことだけがよく分かるようになったわけではなかったことです。

むしろ、世界から届いているものが増えたように感じます。

人の言葉。

誰かの願い。

人と人との間に流れている温かさ。

自分の身体が「なんかいい」と感じる場所。

ずっと昔にもらって、意味も分からないまま心に残っていた言葉。

思いがけないハグ。

そんなものが、自分の中に入ってくるようになりました。

もしかしたら、今までも届いていたのかもしれません。

ただ、私が受け取る窓を閉めていただけなのかもしれない。

昔、患者さんが言ってくれた、

「人生に少し余裕ができたら、自分とのコミュニケーションですよ」

という言葉。

ずいぶん時間が経ってしまいましたが、

今になって、ようやくその続きを始めているような気がします。

自分に心を開いて生きる。

それは、きれいな気持ちだけを大切にして生きることではありませんでした。

腹が立ったり、寂しくなったり、ほんの小さなことで嬉しくなったり。

思っていたより、ずっと生々しい。

でも、生きているのだから、それでいいのかもしれません。

次の今が来るまで、

今ここに届いているものを、ちゃんと受け取ってみる。

そんなふうに、自分と一緒に生きてみたいと思っています。

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