高校時代、私は器械体操をしていました。
練習の中には、よく「あと一本」がありました。
今の感覚なら、もう一回やれば何かをつかめるかもしれない。
指導者もそう思う。
「もう一本やってみよう」
その一本で、できなかった技ができるようになることもあります。
そして、その先にはその技が入った演技があり、試合があります。
もう一本。
もう少し。
ここを越えたら、もっと上へ行ける。
私自身、そんな「あと一本」を望んで練習できることが、強さだと思っていました。
疲れていても、もう一本。
苦しくても、もう一本。
言われなくても、自分から「もう一本お願いします」と言える選手が強い。

そんなふうに思っていたのだと思います。
でも私は、「あと一本」で怪我をした選手も何人も見てきました。
指導者が無理をさせようとしていたわけではありません。
むしろ逆だったと思います。
この選手なら、もう一本やればつかめる。
今ならできるかもしれない。
そう信じていた。
そこには、その選手を伸ばしたいという気持ちもあったでしょう。
選手の側にも期待があります。
今度こそできるかもしれない。
もう少しで届きそう。
先生もそう思っている。
自分もそう思っている。
両方の期待が同じ方向を向いたとき、
「あと一本」
は、とても魅力的です。
でも今になって思います。
そのとき、身体はどうだったのだろう。
もう一本やりたい、と身体ごと思っていたのか。
それとも、
先生が言うから。
ここまでやったから。
あと少しだから。
今やめるのはもったいないから。
そんな理由で立ち上がっていたこともあったのではないか。
同じ「あと一本」でも、
自分から、
「もう一回やりたい」
と思ってやる一本と、
誰かに言われてやる一本では、
きっと何かが違います。
そして、これは体操だけの話ではないのかもしれません。
あと少しだから。
ここまで来たんだから。
今やめたら、今までやってきたことが無駄になる。
もうちょっと頑張れば、きっと届く。
そういうときほど、
「もう少し頑張れば届くかもしれない」という期待に気持ちを奪われて、
今の自分がどう感じているのか、見えなくなってしまうことがあります。
私は長い間、
努力すれば、手が届く。
頑張れば、できるようになる。
そう信じてきました。
実際、それで手に入れたものもたくさんありました。
器械体操でも、目標にしていた大会に出場することができました。
だから、努力することを疑う理由がなかったのだと思います。
そして努力には、もう一つ、とても分かりやすいところがあります。
もう一本やる。
練習する。
回数を増やす。
苦しくても続ける。
何かを加えて、何かをする努力は、目に見えます。
自分にも、
「今日も頑張った」
という手応えが残る。
周りから見ても、
「あの子は頑張っている」
と分かります。
でも、
今日はやらない。
一本減らす。
休む。
今は基礎に戻る。
そんな努力は、ほとんど見えません。
それどころか、
「もう一本やっていたら、何かをつかめたかもしれない」
という不確かさが残ります。
競技の世界では、その一本の先に、
レギュラーに入れるか。
強化選手に選ばれるか。
試合に出られるか。
そんな線引きがあることもあります。
だから、
「今日を逃したら、未来が変わってしまうかもしれない」
という怖さもある。
でも、本当は、その先の未来なんて誰にも分かりません。
もう一本やったから選ばれたのかもしれない。
そこでやめたから、翌日もっといい感覚をつかんだのかもしれない。
休んだことで怪我をせずに済んだのかもしれない。
本当に、その機会を逃したのかもしれない。
どの未来になるのかは、そのときには分からない。
それでも、
何かをするほうが、
「私はやれることをやった」
という納得は残ります。
やらないほうを選ぶと、
「あのときやっていたら」
という、答えの出ない問いを引き受けることになる。
だから、やらないことのほうが難しい場合もあるのだと思います。
私は鍼灸の仕事をするようになってから、スポーツ障害の身体にも触れてきました。
オーバーユースという言葉があります。
身体に負荷をかけ続けることで起こる障害です。
その原因をここで論じたいわけではありません。
私が今、気になっているのは、
「なぜ、やめたほうがいいときにも、やめることがこんなに難しいのだろう」
ということです。
やる努力は、見える。
やらない努力は、見えない。
そして、やらないと決めるためには、
まだ分からない未来を、そのまま引き受ける必要があります。
だから今、私は思います。
「で、今はどうしたい?」
そう聞くことは、
自分を甘やかすことではなく、
自分へのリスペクトなのではないかと。
今日ここでつかまなくても、
この一本で、すべてが決まるわけではない。
これは、
「必ずうまくいく」
と自分に言い聞かせることとも違います。
未来は分からない。
分からないけれど、
今日の一本をやらなかったくらいで、
自分の可能性まで終わったことにしなくていい。
指導者から選手へも、
同じなのかもしれません。
「この選手なら、あと一本でつかめる」
と信じることと、
「今日はどうしたい?」
と聞くこと。
後者には、
今日ここでつかまなくても、
この選手には、またそこへ向かう力がある。
そんな信頼があるような気がします。
自分を超えていくことは、格好いい。
限界まで頑張る姿は、人から見ても美しい。
自分自身にも、
「私はやった」
という手応えがあります。
でも今は、
それだけが強さではないと思います。
あと一本で届きそうなときにも、
「で、今はどうしたい?」
と、自分に聞けること。
そして、その答えを尊重すること。
40年近く前には知らなかった強さを、
私は今になって、練習しているところなのかもしれません。