オセロの角を、白に返したら

先日、久しぶりに会った友人と、最近の暮らしについて話した。

以前より、ずいぶん時間に余裕ができたこと。

すると友人が、
「時間を持て余している感じ?」
と聞いた。

そう言われて、少し考えた。

確かに、今日は何をして過ごそうかな、と考える日もある。

面白い映画やドラマはないかと探したり、気が向けば着物を着て出かけたり。

でも、時間を持て余しているという感じでもない。

それなのに、その問いかけに、私の中で小さな反応が起きた。

時間を持て余している人だと思われたくない。

寂しい人だと思われたくない。

あれ?

私はまだ、そんなことを気にしているんだ。

友人がどんなつもりで尋ねたのかはわからない。

ただ、その一言をきっかけに、自分の中に残っているものが見えた。

「そんな自分じゃ嫌だ」

という拒絶が、起こりそうになったのだ。

以前なら、その気持ちに気づく間もなく、忙しくしていることや、充実していることを、どこかで証明しようとしたかもしれない。

けれど今回は、その反応が起こりかけたところを、少し離れて眺めていた。

ああ、まだいるんだね。

そんなふうに思った。


この半年、涙に暮れる日が多かった。

大切にしていた暮らしが、思いがけない形で変わってしまった。

悲しみも怒りも、まだなくなったわけではない。

それなのに、不思議なことに、私は今の自分の方がずっと好きなのだ。

自分でも、少し驚いている。

着物を着ていると、自分の中にすっぽり収まっているような心地よさがある。

一人で出かけて、美味しいお茶をいただく。

犬と過ごす時間を楽しむ。

両親が旅行を楽しんでいることを、心から嬉しく思う。

今日は何をしようかな、と考える時間もある。

何も進まず、何も生み出さずに一日が終わると、少しばつが悪い気持ちになることもあるけれど。

それでも、これが今の私なのだと思う。


友人は、今の私の自由を「うらやましい」と言った。

そういえば、以前の私は、人からうらやましいと思われる暮らしがしたかったのではなかったか。

皮肉なことに、それが今、叶っているらしい。

でも、実際にそう言われてみて、わかったことがある。

人からうらやましいと思われることよりも、自分で今の自分を好きだと思えることの方が、はるかに嬉しい。

以前の私は、誰かの目に映る自分を、ずいぶん気にしていたのだと思う。

今も、その癖がすっかりなくなったわけではない。

時間を持て余している人だと思われたくない私もいる。

何もしなかった一日を、少し後ろめたく感じる私もいる。

でも、そんな自分を見つけても、以前ほど慌てなくなった。

オセロの角を白に返したら、盤面が全部白くなったわけではなかった。

黒い石は、まだあちこちに残っている。

それでも、黒い石をひとつ見つけたからといって、もう自分のすべてが黒くなるわけではない。

「ああ、ここにもあったね」

そうやって眺めていられる。

今の自分の方が、ずっと好き。

そんなふうに思える日が来るなんて、私自身がいちばん驚いている。

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