努力は、私にとってずっと大切な言葉でした。
小学校の卒業文集に、「好きな言葉は努力」と書いた記憶があります。
当時の担任の先生から、私はとても大きな影響を受けていました。
その先生の指導で体操競技を始め、練習を重ねて、できなかったことができるようになり、成績も残すことができました。
努力すれば、人は変わる。
それは誰かに教えられただけの言葉ではなく、私は自分の身体で知ったのだと思います。
だから今でも、努力することは嫌いではありません。
知らなかったことを知ること。
できなかったことが、できるようになること。
工夫したり、練習したり、すぐにはできなくても続けてみること。
そういうことには、今でも喜びを感じます。
最近も、Macのことで分からないことがあると、Appleのサポートに電話をしたり、秋葉館へ出かけたり、とうとう一人でジーニアスバーにも行きました。
ジーニアスバーは、私にとっては少し敷居の高い場所でした。
コンピュータに詳しそうな人たちの中で、専門家に自分の課題を説明して、「私はこういうことをしたい」と相談する。
行ってしまえば、何ということはないのかもしれません。
でも私には、それなりに勇気のいることでした。
それでも行ったのは、できるようになりたいことがあったからです。
振り返ってみれば、あれも私にとっては努力だったと思います。
少し怖くても、自分の「やってみたい」に手を伸ばすための努力。
そして、あの日の私は、小さな夢を一つ叶えていたのかもしれません。
一方で、ずいぶん時間や手間をかけているのに、自分では努力だと思っていないこともあります。
最近、私はずっとブログを書いたり、これまでの記事を読み返したりしています。
気がつけば、何時間も経っています。
長襦袢のサイズを自分で直したり、足袋を染めたりもしました。
どれもそれなりに手間がかかっています。
でも、不思議と「頑張っている」という感じがしません。
ただ、夢中になっている。
「やりなさい」と言われたわけでも、
「ここまでやっておいた方がいい」と思っているわけでもなく、
ただ、
「もう少しこうしたい」
「これ、どうなるんだろう」
「やってみたい」
と思って、手を動かしています。
夢中になっていることと、努力すること。
同じではないのだと思います。
夢中になれることばかりで生きていけるわけでもありません。
大切だと思うことなら、気が乗らない日にも続けたり、同じことを繰り返したり、意識して身につけようとすることもある。
努力には、やっぱり努力の力がある。
私はそれを知っています。
だから、努力をやめたいわけではありません。
ただ最近、
私は、努力にずいぶん欲張りだったのではないか。
と思うようになりました。
できるようになりたい。
上手になりたい。
知りたい。
そのために努力する。
そこまではいい。
でも私はいつの間にか、努力にもっとたくさんのことを頼むようになっていました。
もっとちゃんとできる私にしてください。
人の役に立てる私にしてください。
恥ずかしくない私にしてください。
素敵だと思ってもらえる私にしてください。
そして、
安心できる私にしてください。
「ここにいていい」と思える私にしてください。
そんなふうに。
今思うと、ずいぶん欲張りな発注者です。
そして私は、その注文をかなり真面目に引き受けてきました。
もっと勉強しなくちゃ。
もう少し頑張らなくちゃ。
ここも直さなくちゃ。
まだ足りない。
そうやって努力していけば、いつか安心できる場所へたどり着けるような気がしていたのだと思います。
でも、もしかすると、
努力に、そこまでたくさんの仕事を頼まなくてもいい。
努力すれば、できなかったことができるようになるかもしれません。
練習すれば、上手になるかもしれません。
知らなかったことを、知ることもできる。
少し怖い場所へ、自分を連れていく力にもなる。
それだけでも、努力には十分すごい力があります。
そこへさらに、
愛されることも、居場所も、安心も、幸せも、全部背負わせなくてもいい。
努力を、欲張らない。
そんなふうに考えたら、少し肩の力が抜けました。
努力する前の自分を、ダメな自分にしなくてもいい。
今の自分を一度不合格にしてから、努力を始めなくてもいい。
もうここにいる私が、
「これを知りたい」
「これができるようになりたい」
「ちょっと怖いけれど、行ってみたい」
と思ったら、そのために努力すればいい。
そして、ときには努力と呼ぶ間もなく、ただ夢中になっていればいい。
安心や幸せは、努力の先にあるご褒美としてだけではなく、
夢中で何かをしている時間や、
できなかったことができた瞬間や、
思い切って一人で出かけた帰り道や、
何でもない暮らしの中にも、
もう起きているのかもしれません。
努力には、努力にできる仕事を頼めばいい。
それ以上のものまで、全部手に入れてもらおうとしなくていい。
小学生の頃、好きだった「努力」という言葉。
今もやっぱり、私は好きなのだと思います。
ただこれからは、
努力を、欲張らない。
できるようになりたいことのために。
知りたいことのために。
ときには、少し怖いところへ手を伸ばすために。
努力には、努力にできる仕事を頼んでいこうと思います。