昨日、丸の内のテラスで過ごした時間のことを、ブログに書きました。
風に吹かれながら、一人でこれまでのブログを読み返す。
誰かとの待ち合わせもなく、次の予定もない。
「ああ、私、今すごく幸せだ」
そう思った時間でした。
私はそれを「至福」と書きました。
間違ってはいないと思います。
とても幸せだったから。
でも、書いたあと、少しだけ考えました。
「至福」という言葉で、本当にしっくりきているかな、と。
そして、もう一度あの時間を思い出してみました。
華やかな丸の内にいたけれど、何かを買いたいとは思わなかった。
美味しいものを食べに行こうとも思わなかった。
誰かに連絡して、一緒に過ごしたいとも思わなかった。
もう一軒、どこかへ寄りたいとも思わなかった。
風に吹かれて、景色を眺めて、自分の書いたものを読んでいる。
それで、足りていたのです。
他に、何も要らなかった。
そう思ったとき、
「至福」よりも、
「満ち足りていた」
という言葉の方が、あの時間に近いような気がしました。
私はずっと、幸せになるには、何かがもう少し必要なのだと思っていたように思います。
もっと何かができたら。
もっと何かを手に入れたら。
もっと素敵な私になれたら。
今の自分に何かを足していった、その先に、満足できる場所があるような気がしていました。
けれど昨日は、何かを足したから幸せだったわけではありませんでした。
むしろ、
もう、足さなくてよかった。
それが、あんなに心地よかったのかもしれません。
少し前に、
「自分と過ごす時間を拒絶しないでいたら、この先、何が出てくるのだろう」
と書きました。
あのときは、本当に分かりませんでした。
悲しい自分も。
腹を立てている自分も。
嬉しい自分も。
なるべく追い出さずに、ただ一緒に過ごしてみようと思っただけでした。
そうしてしばらく自分と過ごしていたら、
私は少しずつ、
何が好きなのか。
何に安心するのか。
何を嬉しいと思うのか。
そんなことが分かるようになってきました。
そして昨日、
「私は、これだけで満ち足りることがあるんだ」
という自分にも出会いました。
ずいぶん長いこと、
「生きていることそのものが嬉しくなるような何か」
を探してきました。
どこかに、その答えになるものがあるような気がしていました。
でも、もしかすると、
満ち足りるというのは、
何かをたくさん持っていることではなく、
「今は、もう何も足さなくていい」
と、自分の中から聞こえてくることなのかもしれません。
昨日の私は、
何者にもなっていなかったし、
何かを成し遂げてもいませんでした。
ただ、お気に入りの場所にいて、
風に吹かれながら、
自分と一緒にいただけでした。
それで、足りていました。
満ち足りる。
今の私には、
「至福」よりも、
この言葉の方が、少ししっくりきています。
