当たり前

夫の姉から、果物が届いた。

毎年送ってくださるラ・フランス。
今年は、それに加えてクイーンルージュという葡萄も入っていた。

ありがたいことだ。

さて、誰にお裾分けしようか。

届いた果物を眺めながら、私は早速そんなことを考えていた。

一人では食べきれないだろうし、喜んでくださる方もいるだろう。

そういえば、以前はリンゴが三箱届くこともあった。

ご近所にお配りするのだけれど、これがなかなか大変だった。

誰に差し上げようか。
何個ずつにしようか。
いつ届けようか。

いただいたものをお裾分けする。

それは、私にとってごく当たり前のことだった。

でも、ふと思った。

私は、いただいた果物を、まず自分で楽しもうとは考えていなかったのだ。

誰かに喜んでもらえることを思いつくと、それを実行しようとする。

花を贈ったら喜ぶだろうな。
あれを届けたら嬉しいだろうな。

そう思うたびに、私の予定には小さな仕事が増えていく。

誰かに頼まれたわけでもないのに。

それを長いこと、当たり前だと思っていた。

そりゃあ、疲れるはずだ。

でも、誰かを喜ばせたいという気持ちは、なくしたくない。

ただ、喜ばせたいと思うことと、実際に何かをすることは、別でいいのではないか。

「あの人、喜ぶだろうな」

そう思うだけでも、心は温かくなる。

必ずしも、それを行動に移さなくてもいい。

そんなことを考えていたら、もうひとつ気づいた。

自分にとって当たり前のことは、他人にとっても当たり前だと思ってしまうことがある。

私は、誰かが喜ぶことを思いついたら、できるだけ実行してきた。

だから、誰かがそうしなかったときに、どうしてだろうと思ったこともあったかもしれない。

自分に課していた義務を、知らず知らずのうちに、人にも求めていたのではないだろうか。

自分の当たり前は、なかなか見えない。

当たり前だから、疑うことさえしない。

でも、それが当たり前でなくてもいいと気づいたとき、少し自由になる。

そして、自分に許した自由を、誰かにも許せるようになるのかもしれない。

さて、ラ・フランスは六個。

食べ頃をずらせば、しばらく楽しめるらしい。

今年は全部、自分でいただいてみようと思う。

なんだか、それだけで少し嬉しい。

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