着物を持つ暮らしから、着物と暮らす日々へ

このところ、私の暮らしが少しずつ変わってきている。

着物を寝間着にしてみたり、着物で出かける機会が増えたり。髪を短く切り、家の中の収納も見直している。

そして、長い間心の中にあった「着物で施術をする」という夢にも、少しずつ近づこうとしている。

一つひとつは別々の出来事なのだけれど、振り返ってみると、まるで一本の流れのようにつながっている。

そのきっかけになったのは、無重力着付けとの出会いだったように思う。

目次

着物への憧れから

もともと、着物は好きだった。

ずいぶん前に某きもの学院で着付けを習い始めたのは、ただ着物への憧れがあったから。特に目的があったわけではない。

一人で着られるようになり、着物の基本的なルールも教えていただいた。

その後、和裁も習った。

こちらは、もう少し実用的な理由からだった。

リサイクルショップなどで見つけた着物を、自分の寸法に直せるようになればいいな。

そんな思いで先生の門を叩いたけれど、寸法直しだけを覚えるというわけにはいかない。

運針から始まり、和裁の基本を学び、先生のご指導を受けながら季節の着物を自分で仕立てるようになった。

先生は、着物のお仕立てを仕事になさっている方だった。

私は和裁を仕事にするつもりはなかったけれど、先生のお姿から、仕事と趣味の間にある一線の厳しさのようなものを感じていた。

直接言葉で教えられたわけではない。それでも、すでに鍼灸師として開業し、出張施術をしていた私にとって、仕事に向き合う姿勢を学ぶ大切な時間だったと思う。

そして、この頃から、いつか着物で施術ができたらいいなと思っていた。

けれど、具体的に動くことはなく、長い間、心の中にしまっていた夢だった。

その後、着物文化検定にも関心を持つようになった。

着物を着ること、仕立てることだけでなく、歴史や文化を知るのも楽しい。

学んでいるうちに、興味は昔の人々の暮らしや文学にまで広がっていった。

着物という一つの入り口から、思いがけない世界に出会うこともある。

そんなふうに、着物との付き合いは長い時間をかけて、少しずつ広がってきた。

締めることの心地よさ

今年に入って、私は無重力着付けを受講した。

そこで学んだことの一つが、帯を締めることの心地よさだった。

締めるというと、身体を窮屈にすることのように思える。

ところが、適度に締めた帯は、身体を心地よく支えてくれる。

あるとき、歩きながら息を吸うと、背骨全体が上下両方向に伸びていくような感覚があった。

胴を帯で締めているのに、身体の内側には広がりがある。

吐くときには、背中全体が緩んでいく。

もちろん、実際に背骨が呼吸しているわけではない。それでも、私の身体には確かにそんな感覚があった。

これが面白かった。

電車で座っているときにも、腕が自然とよい位置に収まっていることに気づいた。

着物を着ていると、自分の身体が大切に扱われているように感じる。

それまで、着物を美しく着ることには関心があったけれど、着物を着た自分の身体がどう感じているかを、こんなふうに味わったことがあっただろうか。

暮らしが動き始めた

それから、着物との付き合い方が少しずつ変わり始めた。

浴衣を寝間着にしてみる。

着物で犬の散歩に出かける。

特別な用事がなくても、着物を着て外へ出る。

髪も短く切った。

そして、長い間心の中にあった、着物で施術をするという夢。

以前は、いつかできたらいいなと思うだけだったけれど、今は実際にやってみようかという気持ちになっている。

どんな着物なら動きやすいだろう。どんな装いなら、自分も心地よく施術ができるだろう。

名刺を作り、ブログには施術についてのページも準備している。

何か大きな計画を立てたわけではない。

一つやってみると、次にやりたいことが見えてくる。

そんなふうに、流れるようにここまで来た。

箪笥の中で気づいたこと

そして今、着物や帯の整理を始めている。

先日、短い名古屋帯を何とか使えないかと、動画を見ながら工夫して締めてみた。

確かに、お太鼓の形にはなる。

けれど、胴を一重しか巻かないため、どうにも心地よくない。

帯を二重に巻くことで得られる、あの身体を包み込むような安定感がないのだ。

形になればよいというものではないらしい。

ほかの帯も取り出してみた。

美しいけれど短すぎて柄を生かせない帯。金糸が華やかで、結局一度も締めなかった袋帯。

祖母が私の結婚式に締めていた帯もある。思い出を残したくて、いつかバッグに作り替えようと思っていた。

そんな帯を一つずつ眺めているうちに、ふと気づいた。

私は、着物を持っていること自体にも、どこか誇らしさを感じていたのかもしれない。

美しい着物や帯が箪笥に収まっていることにも価値を感じていた。

それが悪いというわけではない。

ただ、今の私は、少し違うところに喜びを感じ始めている。

実際に締めて心地よい帯。

着ていて身体が喜ぶ着物。

そして、それらを身につけて過ごす時間。

着物そのものを大切にすることから、着物を着ている自分の身体を大切にすることへ。

関心が移ってきたのかもしれない。

着物と暮らすための場所

使わない帯は、少しずつ手放していこうと思っている。

それは、着物への愛着が薄れたからではない。

むしろ、もっと着物と親しくなりたいからだ。

長襦袢や着物、雨コート、寝間着の浴衣。

日常的に着るものを、無理なく取り出して、着て、手入れして、またしまう。

そんなことが自然にできる場所を、家の中に作りたい。

着物を保管するための場所ではなく、着物で暮らすための場所。

たくさん持っていることより、今あるものを心地よく使えることが嬉しい。

長い間、着物に憧れ、着付けを学び、和裁を習い、着物を集めてきた。

その時間があったからこそ、今の楽しさがあるのだと思う。

そして、長く心の中にあった夢も、少しずつ現実のものになろうとしている。

これから毎日着物を着ようと決めているわけではない。

洋服の日があってもいい。

ただ、着物を着たいと思ったときに、自然に手が伸びるような暮らしにしてみたい。

着物で暮らすことを、少しずつ自分の日常に馴染ませてみたい。

それは、私にとって、とても豊かなことのように思えるから。

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