先日の着物の集まりで、特にお会いしたかった茶人の方がいました。
以前、その方の音声配信を聴いていて、心に残った言葉があったからです。
「一日のうち、茶人としてお茶を淹れているのは15分くらいだとしても、残り23時間45分も茶人なんです」
※言葉は、私の記憶をもとに書いています。
でも、私の中には「23時間45分も茶人」という言葉が残りました。
その方は、23時間45分ずっとお茶の仕事をする、という意味でおっしゃっているわけではありません。
お茶を淹れる15分だけ取り繕っても、普段の暮らしはそこに現れる。
引き出しの中がぐちゃぐちゃだったり、掃除が行き届いていなかったり。
「お茶にも心があるから」
そんなふうに話されていたのも、とても印象に残っています。
生き方そのものがお茶に移る。
そんなお話でした。
最初に聞いたとき、私は少し驚きました。
私は長く鍼灸師をしてきましたが、仕事が終わったら、鍼灸師という看板を下ろしたいと思っていたからです。
仕事では、相手の身体をよく見る。
話を聞く。
小さな変化を見逃さないようにする。
できることは何かと考えながら、身体に触れる。
それは私にとって「仕事」でした。
だから仕事以外の時間まで鍼灸師でいるなんて、疲れてしまう。
そこまでやっていたら身がもたない。
そんなふうに思っていたのです。
でも、「生き方そのものがお茶に移る」と考えると、少し違って見えてきました。
では、鍼灸師である私にとっての「23時間45分」って、何だろう。
私は施術をするとき、患者さんから目を離さないようにしてきました。
身体に触れながら、小さな情報を探します。
今、何が起きているのか。
何ができるのか。
できないことは何なのか。
経験を重ねるほど、自分にはどうにもできないことが、たくさんあることも分かるようになりました。
それでも、その人の横にいて、少しでも良い方へ向かえるようにと願いながら、身体に触れてきました。
ところが、自分に対してはどうだっただろう。
振り返ってみると、患者さんからは目を離さなかったのに、自分からは目を離してしまうことが、ずいぶんあったように思います。
目の前にやることがあれば、こなす。
次のことが来れば、またこなす。
できるなら、やる。
そうやって、ずいぶん長い時間を過ごしてきました。
でも、もし私の生き方そのものが施術に移るのだとしたら。
仕事以外の時間をどう生きるかも、鍼灸師としての私と無関係ではないのかもしれません。
患者さんを見るように、自分からも目を離さない。
施術ベッドの横に座るように、自分の横にも座ってみる。
今、何を感じている?
身体はどう?
今日は、どうしたい?
そんなふうに自分にも問いかけながら、暮らしてみる。
自分を観察して、
愛でて、
少しずつ磨いていく。
それは、仕事のために自分を律するということとは、少し違います。
自分自身を大切に生きること。
自分の身体や心が喜ぶものを知っていくこと。
そうやって過ごした23時間45分を連れて、私はまた患者さんの横に座る。
鍼灸師の看板は、仕事が終わったら下ろしていい。
でも、そこで長い時間をかけて培ってきたものまで、脱がなくてもいい。
そして、仕事以外の時間を生きている私もまた、鍼灸師としての私を育てているのかもしれません。
「23時間45分を、私はどう生きる?」
あの日、実際にその方にお会いしてから、あらためてそんなことを考えています。
