自信が無い、もう一つの理由

 

前回の続きです。

自信が無い、もう一つの理由。

それを説明するために、私の子供の頃の話をさせて下さい。

 

 

私は、両親と、三姉妹(私・長女)の核家族で育った。

父は、高度成長期のモーレツサラリーマンだった。

忙しい中、休日には娘三人を土手や公園に連れて行ってくれる優しい父だった。

私は、父より強い人は世の中にはいないと思っていたし、

「お父さんは、スーパーマンだ!」と信じる、幸せな少女だった。

 

 

そんな父が、私が小学校低学年の時、「心身症」で休職した。

病になった父は、しょんぼりとして・・・、

時に涙を見せるようになった。

父が家にいる時間は増えたが、

母は父を常に心配するようになり、

私達姉妹はひっそりと生活するようになっていった。

「父はスーパーマンではなかった。」と、知った娘の衝撃は計り知れない。

真面目で優しい父が、心を病んでしまったことが、幼い私は本当に悲しかった。

 

両親の故郷である熊本で、療養した数ヶ月間もあった。

 

子供だった私は・・・

どう表現したら良いのか・・・

何か、社会の否定的な空気を感じ取ってしまった。

 

言葉の選び方が不適切かも知れないけれど、

見えない「拒絶」を感じた。

 

病気の父と娘三人を抱えて、右往左往しながら、懸命に生きる道を模索していた母。

その母の様子から、生きていくことの不安と恐怖を、私も感じた。

 

私も「私のままじゃダメなんだ!」って言われたような気がして、強い不安を感じた。

 

そこから、父の病気が好転して復職し、住まいも関東に戻った。

私は、新しい学校に転校した。

担任の先生が、体育のご専門だったので、いろんな事をさせてくれた。

なかでも、放課後に特別に教えてくれる体操部が存在していた。

ほとんどの部員は、先生がスカウトして入部しているらしかったが、

私は自ら入部を願い出て、体操部に入った。

 

私は、学校の教科では、出来ないことがあまりない優等生タイプだった。

体操は、はじめは出来ない技が、練習すると出来るようになる「達成感」が楽しくて、

「すごいっ!」て感じることが嬉しくて、どんどんハマっていった。

 

私は、生きていくことの不安と恐怖を、

体操から得られる達成感で、

かっ飛ばしたかったのかも知れない。

 

「出来ない」ことを、

「出来る」に変えて行くオセロゲームに、

夢中になっていた。

 

どうやったら新しい技が出来るのか、

頭と身体の全力で挑戦していた。

私を思いっきり表現できる体育館に、毎日通った。

そうやって、8年間過ごした。

 

 

でも、心の奥底に、

あの「拒絶」を忘れてはいなかった。

この「拒絶」から目を背けることが、体操への大きなモチベーションだったと、今では思う。

何かにつまづくと、「拒絶」を感じて、

本当に元気がなくなった。

そんな、アスリートだった。

 

 

 

話を元に戻します。

 

 

鍼治療をする現場では、

 

治療すると共に、

身体に向き合う事の大切さを伝えてゆく事が、

重要だと考えています。

 

腰痛でしたら、

練習で繰り返し行った動作の、

身体の使い方が間違っているサインということですから、

検索・検討するのが理想です。

 

休み方の問題もあります。

「怖くて練習が休めない」アスリートも、よく見かけます。

身体と心を見つめて、自分にとってのベストを選択する練習をします。

痛みに取り組むことによって、身体と心にじっくり向き合って、

パフォーマンスが上がる事を経験するのが理想です。

周囲に助けを求める事も、重要な学びです。

 

 

ところが・・・

「拒絶」があると、自分の身体と心にじっくり向き合う事ができません。

がむしゃらに「頑張る」事に逃げるか、痛みの「悲しみ」に暮れてしまうのです。

誰の助けの手も届かない。

それが、過去の私です。

 

 

この「拒絶」に、今も、対応する術がないのです。

だから、自信が無い・・・

 

唯一、心からリラックスしてもらう治療を提供することが、効を奏することがあります。

でも、大抵は少し良くなると、「頑張る」ことに帰って行きます。

 

この社会の中で、「拒絶」を持つ人は、実はたくさんいると思います。

 

すべての「拒絶」が、癒やされることを望んでいます。

 

これが、今の現状です。