お話し会をやってみて。

最近私は、オンラインショップを作って、商品を作りました。

そのなかの、オンラインサロンで、

「お話し会をします!」と公言していました。

サロンのお申し込みはないので、開催しなかったとしても、

きっと誰も突っ込んではこないでしょう。

だから、やるかやらないか、自分の中でずーっと迷っていました。

開催三日前の夜、布団の中で自分に聞いてみたら、

「やりたい!」と私が言います。

ムクッと起き上がってレジメと告知文を書き始めて、

朝方、アップして募集を開始しました。 

ドキドキドキドキ・・・

お申し込みは、1名。

ゼロから1を生み出すことが出来た事に、喜びを感じると共に、

やはり淋しい感じが・・・

その時の心の中では、こんな事が起こっていました。

お申し込みが一人しかいないことに、

やっぱり、私には魅力が無いんだ・・・とがっかりする。

頑張っているのに、報われない・・・と、がっかりする。

あの人から反応がない・・・と、がっかりする。

何か間違っているのか・・・と、不安になる。

まだまだ、実力が無いんだ・・・と、がっかりする。

あの人みたいに活躍できないのは、まだ何か足りないからだ・・・と、がっかりする。

何かに挑戦して、予想を下回る結果で、がっかりするいつものパターンだと感じます。

あーあー、やっぱり私には魅力が無いんじゃないか!!

あーあー、頑張ったって報われないじゃないか!!

あーあー、あの人から反応が無いじゃ無いか!!

あーあー、まだまだなんじゃないか!!

って、自分を責めはじめます。

がっかりして何が嫌かって言うと、自分を責め立てる自分が嫌なんだよね。

そして、他人にどう思われているのかがとても気になります。

あの人は、私のことをこう思っているに違いない・・・

良くも悪くも・・・

憶測が妄想を創って、不安を呼びこんでくる。

他人から、

良く思われれば、私の評価が上がって、人気が出て、お金が集まって、幸せになれる!!と感じる。

悪く思われれば、私の評価が下がって、人気が下がり、選ばれなくなって、幸せから遠ざかる!!と感じる。

即、不安になる。

でも、、、

この私の中で繰り広げられる寸劇にどんな意味があるんだろう?

一喜一憂して、とても疲れるこの寸劇。

じーっと考えてみた。

私は、他人にどう思われるかが、幸せへの道標だと思っているんだな?

それは本当に私の幸せに繋がる道標なのか・・・?

なんか違うな。。。

この寸劇の時間、自分は置き去りで、

私が”癒やしの広場”と呼んでいる至福の空間からどんどん外れて行く。

これがいつものパターンだった。

でも、今回はここから違った。

お申し込みがお一人でも、多数でも、

お話しすることに変わりは無いので、

レジメを作り上げようとします。

自分のお話会なので、(当たり前だけど)自分に集中していきます。

だから、自分にどんどん近づいていく感じでした。

自分が過去、何を感じてきたのかを振り返って、

その時には表に上がってこなかった感情まで味わうようでした。

自分との、濃密な時間

そして、”癒やしの広場”に居ながら、

主人との晩酌も楽しみ、

愛犬とのお散歩を楽しみ、

豚の角煮作ったり、

クッキー作ったり、

キッチンの一角を、リニューアルしたり、

その都度、自分がやりたいことを楽しみました。

←自分に集中し続けているから、キャッチ出来るのですね

こんな事、今までに無かった。

そして、当日。

テーマは、「自分に”生きる”を許すまで」

裏テーマは、「鍼灸師の鎧を脱いで」として、

約1時間、自分のことを自分の言葉でお話ししました。

参加の1名の方は、とても聞き上手。

時折、相槌を打って下さり、終始、話しやすい雰囲気。

コンサルも出来る方だったので、

私の今後の展開についての話にまで及び、

私にとって、最高の時間になりました。

そして終わってみると、

充実感、静かな喜びが湧いてきました。

自分に近づいたからか、

自分から責め立てられることも無いのです。

このリラックス感。

これが、私の幸せなんじゃないかしら・・・

これが、至福・・・

幸せへの道標は、自分の中にあった!

よくやった!!私。