昔の話 ②研修生時代

昔の話です

 

わずか半年の弟子時代の話はこちら〜

 

 

弟子を辞めてしまってから、

さらに半年後・・・

 

某大学施設の卒後研修生になることが出来ました。

 

新人鍼灸師を育てる、

卒後研修制度の初期だったと思います。

 

外来治療室のスタッフとして、

指導教官の指導のもとに、

臨床経験を積む制度です。

 

 

週のうち、日曜日以外、

2日は外来担当として活動し、

あとの2日は、外来運営のためのスタッフとして、

カルテ管理や、患者様のご案内、

ベットメイクや掃除などを担当して、

残りの2日は、アルバイトをして良いことになっていました。

(アルバイトは、

専門学校時代にお世話になったビル管理会社に、

期間限定で雇っていただきました。)

 

 

来院患者数が一日50〜80人程の、

活気のある施設でした。

ですので、外来担当でも、スタッフとしても、

めまぐるしく動き回る日々でした。

 

外来が終われば、

鍼の練習会、

カルテ整理、

先輩の実験のお手伝い、

新患検討会の準備、

自分の担当患者様についての調べもの、

ケースカンファレンスの準備など、

やることは、山積みでした。

 

先生方も学生も、

皆さん、遅くまで残っていて、

夜十時過ぎてから、

近くの居酒屋さんで軽く呑む事も、

良くありました。

 

外来担当では、

入学当初は、まず担当教官の側に付きます。

様々な患者様を、

何を目的に、

どんな治療をしているのか、

理解できるようになってから、

抜鍼を任せてもらえるようになります。

 

抜鍼が出来るようになると、

部分的な治療を任せてもらえるようになります。

僧帽筋パルスとか、四頭筋パルスとか、置鍼とか、

経過中の患者様の一部の治療です。

 

(そのころのクレーム事件はこちら☆

 

それが出来るようになると、

やっと新患を任せてもらえるようになります。

初診の患者様を身体診察から所見集め、

治療計画、治療までの、

すべてを一人で行います。

(←もちろん、担当教官に逐一報告しながら進めます。)

 

私が新患を任せていただいたのは、

九月でしたから、

四月に入学して、半年かかっています。

 

そこから、始めて担当した患者様の、経過を追って、

ケースカンファレンスで発表させてもらいます。

その症例を雑誌に投稿するところまで、

一年目で経験させてもらいました。

 

九月以降は、新患をどんどん担当させていただき、

新患検討会にて、先生や先輩方を前に発表して、

アドバイスを頂くことを、繰り返しました。

 

矢のように飛んでくる質問に、

しどろもどろだったり、

頭真っ白状態になって、

答えられなくて、

焦ることも良くありました。

 

驚くことに、

先生、先輩方は、

(ビイールパパも含まれます)

日中はもちろん、

夜の居酒屋さんでも、

ずーーーーっと、

鍼のこと、患者様のことが話題の中心でした。

 

「あの患者様の経過はどうか?」

「あの検査はどうだったか?」

「このパルスは出来るか?出来たか?」

「この件の文献は探したか?」

「研究の進捗状況は?」

などなど・・・

 

あのエネルギーは、どこから来るのか?

と、いつも思っていました。

 

何日も徹夜で研究をまとめる先生もおられましたし・・・

「私にはとても無理だ・・・」と内心思っていました。

 

当時の様子はこちらでも☆

 

実際、雑誌に投稿するときは、

一言一句、指導教官に直しを受けながら、

ヘトヘトになって仕上げた記憶があります。

 

直しを受けて、

その都度、加筆・修正するのですが、

あれは、

 

私の意志と行動を、

明らかにする”作業”だったのだと、

思い返しています。

 

どういうことかというと、

目の前の患者様の訴えを、

自分がどの様に受け止めて、

(正しく受け止められているかチェックを受けて)

それを理解する情報を集めて、

(正しく理解し、情報収集できているかチェックを受けて)

鍼で出来る最良の手段を検討して、計画し、

実行して、その結果どうだったか評価する。

(これも、鍼がきちんと出来ているかも、すべてチェックを受けて)

それを、明らかにして文章化する。

そこに、責任を持つ。

(世間に出して耐えうる文章と内容であるか、更にチェックを受ける)

 

今思えば、

とても、手の掛かる研修生だったと思います。

「私は、いつぐっすり眠れるのかな・・・」って、

ぼんやり思いながら、作業していましたが、

直す先生も大変です。

「いつになったら、まともな文章が書けるのか・・・」と、

思っておられたと思います。

それくらい、直しが入っていました。

 

この気の遠くなるような作業を経験して、

自らに、厳しい目を向けることが出来るようになって、

自分を鍛える方法を学びました。

 

 

「なんとなく、気分良くして帰せば良し」という様な、

曖昧な姿勢も、

頑張る自分に酔うことも、

ここでは許されないものでした。

 

 

徹底したこの姿勢を、

研修時に仕込んでいただいたお陰で、

自分のする治療を、

まともに見ることが出来る様になったと思っています。

 

過大評価することも無く、

卑屈になることも無く、

そのままを理解できていると思っています。

 

だから、満足できる治療結果ばかりでは決して無いけれど、

その結果を冷静に分析して、”楽しむ”ことが出来る。

”楽しむ”というと、不謹慎かも知れないけれど、

自分の課題がどこにあるのか知っているから、

その課題の為に、

勝手に頭が情報を探して、少しずつ前に進みます。

自分の中で

少しずつ進む”楽しみ”があるからこそ、

続けていられるんだと思います。

 

 

実は、

弟子の時代に、

経絡治療学会の夏期大学に、

参加させて頂いたことがありました。

 

自分の感性が頼りにならないもんで、

脈を診る事が出来なくて・・・

 

自分の感覚を信じられないくせに、

良い子ぶりっこの気質があるもんだから、

「解るでしょ?」

って言われると、

つい、

「はい」って言って、

その場を取り繕ってしまうのです。

 

解らないのに・・・

 

これは、やばい!

 

このまま行くと、

何も解らない、

自信のない鍼灸師になってしまうんじゃないかな😱😱😱

と、感じたことを覚えています。

 

もちろん、続けていたら、

しっかり成果を出すことが、

出来たのかも知れません。

 

でも、私は、

私の気質からも、

無理だと判断したのです。

 

 

当時の私、

グッジョブ‼‼

 

 

研修生時代、続きます。

 

指導教官がビイールパパだったお話はこちら